台湾の「珍珠奶茶」は世界に知られていて、各国の観光客が台湾に来たら、必ず味わうドリンクです。しかし、この人気不敗の「珍珠奶茶」の歴史を知っていませんか?
早期に「珍珠奶茶」という呼び方しかないが、1988年に台南市の海安路にある「草蜢」という小店より当時の有名な俳優のことから「波霸奶茶」という新しい名を出され、その後、台湾南部における喫茶店が大きなタピオカを入れたミルクティーを「波霸奶茶」、小さなタピオカを入れたミルクティーを「珍珠奶茶」を示すようになり、そいう呼び方も次第に全国を広めている。
外国では「BOBA」或いは「Bubble」と記されることもよくあり、それは1980年末、北米に移住した台湾人が「波霸奶茶」で商売を始めた契機として、カリフォルニア州の各地で「BOBA Tea House」、「BOBA Planet」、「BOBA World」などの喫茶店が次々とオープンされてきます。外国人たちが「Give me latte, and add some BOBA in, please.」とウェーターに注文することから、「波霸」という言葉が完全にタピオカの代名詞になることを知っています。「珍珠奶茶」の発祥店は台中の「春水堂」と、台南市の「翰林茶館」という話があります。
「春水堂」創立者の劉漢介は、1983年に「珍珠奶茶」の作り方を研究し始め、店長の林秀慧が成功に調製した。果物、シロップ、砂糖漬けサツマイモとタピオカで調合したもの、初めは人気はなく、日本のテレビ番組に取材されてから人々に注目されるようになるそうです。
また、「翰林茶館」経営者の涂宗と主人が1987年に鴨母寮市場で白色のタピオカを見てから発想したアイディアという噂もあります。そのことから、タピオカは早期に白色で、今は黒色に作られることを知りました。その二軒の喫茶店とも台湾裁判所まで相手を訴えたことがあるが、全ても特許権或いは商標権を申請していない幸に、「珍珠奶茶」が台湾の最も代表的な定番ドリンクとなります。
1990年頃、カフェがまだ普及していない台湾では、サラリーマンや学生によく親しまれている「泡沫紅茶店」でも珍珠奶茶を広くメニューに入られて、学生にかなり人気があって、次第に学校付近や塾が集まるエリア、夜市なども「珍珠奶茶」の出店も現れてきます。1990年末に樂立杯、休閒小站、大聯盟、快可立などの喫茶店が自動シール機を導入して伝統的な蓋を代わり、各地でチェーン店を設置して拡大に経営し、そして「珍珠奶茶」を世界へ広めて、台湾の代表的な飲料となります。
【TraNews記者 吳冠霖/台中市 翻訳/呉佩樺】
中国語の原文から翻訳したものです。もしも、その中で何が間違いがありましたら、中国文の内容に基準とさせていただきます。
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